JR合計運賃計算したくない、計画性がないせいで結構使ったんだろうなー。
最初に新潟より北上しきって、そのあと徐々にさがり内陸 そして新潟に戻るというプランならばこうも運賃はかからなかっただろうに。 しかし致し方ない、私は日本海を求めている。 最初の写真のおじいちゃんも私と同じで芭蕉と共に旅してるんだろうなー。 最後の写真、多分雪かき車。いいもんみれたなー。 翌日は新潟まで戻らないといけないので先に始発の新潟行きの列車時刻を忘れずに聞く。 早朝に出発できるよう山形駅前のビジネスホテルで宿泊。
最近のビジネスホテルはモーニングサービスやランドリーあって便利ですね。 どうしても日本海からの夕日が見たい、そしてもう1度日本海沿岸を走る列車で旅したい。 という願望を押さえきれずまたもや北上のリクエストをシェフに出す。 焼き鳥屋ひでさんの皆がお勧めしてくれた東北の富士山と呼ばれる鳥海山を拝みに行こう! そして切符は芭蕉が辿った最北の地”象潟”まで。 飽きれずについてきてくれたシェフありがとう。 途中新庄という駅で90分の待ち時間があり、改札をぬけさせてもらうとラッキーにも新庄祭りに出くわし待ち時間を暑いながらも楽しく過ごす。 タケダワイナリーさんから赤湯にワイナリーが幾つかあると聞き、茂吉記念館から更に下り赤湯駅下車、そしてタクシーで酒井ワイナリーまで連れてってもらった。
南陽市にある酒井ワイナリーは創業明治25年、山形では最古のワイナリーと言われ、赤湯温泉の街の中に佇んでいる。 色々お話を聞かせてもらった。 除草剤を使わず羊に雑草を食べさせているが ぶどうの種が大きくなり重みで吊り下がると羊がパクッと食べてしまうそう。 そして凶暴になるとか。 自分達のワインを理解する人でなければ売らないといった信念をもつ家族経営のワインは びっくりするほど綺麗で美味しかった。 山形県南陽市鳥上坂にある急斜面のワイン畑は下から風が吹き上げるため虫もつきにくく 美味しいワインができあがるそうです。 温泉とワインの街、響きが良い。今度は宿をとってこの組み合わせを楽しみたい。 デラウェアー、シャルドネ2種、ブレンドの赤、ぶどうジュース購入してきました。 乞うご期待! 第三の目的地”タケダワイナリー”へ
斉藤茂吉記念館駅で下車そしてそこからタクシーと聞いていたが、 下車したはいいが、タクシーどころか、だ〜れもいないっぺさ〜。 素晴らしすぎる。 第一村人発見、とはいきませんでしたが、ほんと誰もいないので民家を探し訪ね ハイヤー(タクシーだと通じません)を呼んでもらい無事タケダワイナリーへ。 ここはいわゆる内陸と言われる場所。 年配の方ということもあり話していることが全く分かりませんでした。 しかし親切にして頂いて有り難う御座いました。 タケダワイナリーでの試飲、 地元では蔵王スターが根強くそして山形では古くからワインは身近な存在なんだなーといった印象です。 デラウェアーの原酒とっても美味しかった。 酸を大事にするタケダワイナリーさんのワインは甘口の方が体にすーっととけ込んだ。 今回の第2の目的でもあるモダンな宿を求めて山形は湯田川温泉の湯どの庵へ。
鶴岡駅からバスで、銀座通りを抜け、大好きな洗濯物がヒラヒラと揺れる光景左手 右手にはやはり田園風景を眺めながら30分揺られると湯田川温泉に着く。 山形は全市町村に温泉が湧出するだけあって今回の旅はお風呂には困らなかった。 まずは安宿を探しお風呂は地元の温泉を利用、入湯料も200円程なので大変助かりました。 チェックインが2時からなので朝一にでてきた私達は時間を潰すため湯田川を散策してみる。 たそがれ清兵衛の映画ロケ地としても有名な由豆佐売神社を訪ねてみる。 地元の方もエキストラで出演したらしく集合写真が飾られているのが印象的でした。 湯どの庵での夕食後、近くの焼き鳥さんへ一杯のみにいったのですが女将さんの口からショッキングな話が。 ヒロイン役の宮沢りえちゃんはツンとしてて、かなりのヘビースモーカーらしく休憩になるとすぐさまタバコをふかしていたよう。 まぁどうでもいい話ですが、ショックでした。 湯田川は開湯1300年の歴史がある町なんですね。 宿屋と商店など合わせても 10軒足らずの静かな湯の町、、、とても好きになりました。 焼き鳥”ひで”で素敵な出会い。
しかし面白いものです。 山形は大きく分けて庄内地方と内陸にわかれますが、地元の人の話を聞いていると気候や文化そして方言も違うため同じ山形でもこの2つを分けて話が進んでいきます。 なるほど、あの粋な話し方をするタクシードライバーは庄内弁だったんですね。 そして山形の焼き鳥といえば、豚のことを指すそうです。 メニューも内蔵が多いし知らない部位がたくさんあるので女将さんに質問すると全て豚串で黒板メニューに唯一”やき鳥”と小さく居心地悪そうに存在していました。 シェフは大好物の日本酒を普段は糖が上がるし呑みすぎるといった理由から控えていましたが、山形に来たからには呑まずしては帰れんということで存分に楽しんでいました。 私達の隣に座ったお客さんがとても良い人で、県民性や宮沢りえちゃんのヘビースモーカー話、名古屋の食がお気に召さない話、(名古屋出身だというと会う人会う人に名古屋の食は舌に合わないと言われるため、最近耳をふさぎたくなる。。。。名古屋の食文化は観光客が作り上げたものが多いと思うんだけどなー。きしめん、老舗の天むす、八丁味噌など決して塩分は多くないので味も強くない。本物の名古屋めしは美味しいと思うんだけどな。いつかルーツから調べてみたいと思う) 話は戻り日本各地の話に花が咲き、アルケッチャーノの奥田さんに憧れ山形まで来たと話すと、あの”まぼろしのカブ”と言われる山形の在来作物 藤沢カブを守り続けている後藤さんの後継者がおじさんの友人の息子だという。 早速電話で呼び寄せてもらい後継者となる方から色々お話を聞かせて頂いた。 シェフは興奮の渦の中〜 藤沢カブは1度植えた場所にはその後60年植える事ができない。 8月に周辺に火を入れ、山が灰で白くなったあとに藤沢カブの種をまきます。 そして約45日後に紫色の頭をしたカブがでてきます。 後藤さんが近所のおばあちゃんから種を託された時、大変な作業のため相当悩んだそうです。でも先祖代々の種を守るためひと肌ぬいだそうです。 後継者の方は笑顔で ”自分が作り続けないとなくなってしまうから” と答えました。 頼もしいなー、 日本の未来は明るい。 素敵な人との出会いがありました。 自分のスタイルに合わせ過ごせるという現代のニーズにあった旅館といった印象でした。
2001年に家具デザイナーの手によってリニューアルされた室内は、原型を残し上手に現代風にアレンジしてあるなーと関心させられる箇所が数多くありました。 例えば元はビジネスホテルのような部屋なんですが、畳はなく小上がり風のフロアーにベッドマットと布団が敷かれてあり、内風呂というあまり利用者が少ないものは つけづにゆったりと洗面台とトイレが利用できる、窓はないのですが、ライトを落ち着いた暗めのものにし、窓がなくてもリラックスできる雰囲気の空間作り、そしてパブリックスペースを広くとってあることや上質なソファーや座りたくなるデザイナーチェアーがおいてあるため部屋よりもそちらを利用して旅館全体を楽しめる設計になっている。 料理はといえば、、、もっと地の食材を使った料理が食べたかったのと、うーんやはりまだ旅館の食事レベルはこれくらいかなと思いました。 スタッフはしっかりしたサービスだが、堅苦しくない、これからの日本の旅館スタイルのように思えた。 空間コーディネート、ホームページ、パンフレット、などなど 学ぶとこ多くあり! 途中月山ソレイユのセイベル種使用の白ワインが美味しくてついつい飲み過ぎたため
写真取り忘れましたが12種類ほどの料理がでたんではないかと思います。 メインの羊とかぼちゃそうめん パイナップルの組み合わせに脱帽。 思わずワインからドラフトビアーに切り替えます。 モロヘイヤと牡蠣の料理もモロヘイヤを先に食すと胃に膜をはり牡蠣にあたる可能性が低くなるそうでうちのシェフが牡蠣にあたって以来怖くて避けていた私もなんとなく安心し食しました。 髭のシェービングクリームにみたてたアメリケーヌにだだちゃ豆を浸しながら食べる料理、口直しの胡瓜のからし漬けのバニラアイスなどなど庄内の豊富な食材を使ったユーモア溢れる料理は忘れられない時間となりました。 奥田シェフはといえば私達が山形に到着する前日にローマ法王のもとへ向かうため出国しておりシェフとはお会いできずで非常に残念ですが、冬の山形へ再び訪れなければならないという口実ができ嬉しく思っています。 フラフラと鶴岡の閑散としている夜道をひたすら歩いて 昭和の風景が残る町並みをみながらホテルに帰ろうという計画でしたがなかなか そのような町並みが見当たらない。 そういえばあの粋な話し方をするタクシーの運転手さんに古い町並みを訪ねた所 ”大火で焼けてしまっているからねー”と言っていたのを思い出し、ウィキで調べてみた所 1976年に映画館のボイラー室から出火し1767棟が焼失したという事実があったけど酒田市と鶴岡市は離れてそうだけどなー。 ーーーーーーーーーーー 以下奥田シェフの活動を山形新聞より抜粋させて頂きます。 鶴岡市でイタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」を運営する奥田政行オーナーシェフ(42)が、イタリアでローマ法王ベネディクト16世にだだちゃ豆 など本県の食品を渡し、日本食材の安全を訴えた。奥田シェフは24日に帰国し、「世界中の苦しんでいる人が救いを求めており、日本も強く生きなければなら ないと思った」と述べた。 20日に出国した奥田シェフ。イタリア中部の内陸国サンマリノの「食の平和大使」を務めることから、同国によってローマ法王との謁見(えっけん)が許さ れた。目的は東日本大震災後の日本食材の安全性PR。現地時間の22日、箱詰めした鶴岡在来野菜の加工品を持参し、法王が滞在するローマ南東部のガンドル フォ城を訪れた。 携えたのは▽だだちゃ豆のフリーズドライ▽民田ナスのからし漬け▽藤沢かぶのたまり漬け▽月山筍(だけ)-で英文による説明も付けた。さらに「原発問題 で日本の人々は苦しんでいます。安全な食べ物まで世界の人が食べないので日本の農業は危機です。日本に力を貸して下さい」とのメッセージを添えた。 料理人としての“正装”のコックコートで臨んだ奥田シェフは、世界各国の招待者とともに謁見の広間へ。だがこの日は急きょ、制限ラインを越えて法王と会 話できる人数が10人に絞られた。プランは頓挫しかけた。しかし、そこへ偶然、居合わせた福島県南相馬市の女の子が会話できる10人の1人となり、山形の 食品を預かることを申し出てくれた。箱詰は女の子の手から法王の手へと渡り、プランは成功した。 奥田シェフは鶴岡、東北、日本の食の安全性を世界的宗教リーダーにアピールできたことを安堵(あんど)する一方、「日本だけでなく、たくさんの世界の人が苦しんでいる。強く生きる必要があり、これからも食を通して日本が立ち上がる力になりたい」と決意を新たにしていた。 |